正しいお寺での参拝法

神社での正しい祈願法を書いたら「お寺ではどう参拝したらいいのですか?」と質問されたので今回はお寺での参拝法を書いてみます。
私は過去世の古代インド時代にアショカーとして産まれ王家から出家して修行僧になった経験もあるので詳細に解説します。
歴史的な流れをまず解説します。
日本の仏教は飛鳥時代に大陸との交流で伝来しました。
当時は物部氏を代表する古い考えの勢力は土着の神や日本神道を重視し外来の宗教である仏教の導入に反対しました。
しかし聖武天皇や聖徳太子の活躍で仏教は日本に定着しました。

スピリチュアル的な話をすると実は日本に仏教を定着させたのは天照大御神様を中心とした日本神道の神々です。
これらの神々は国つくりの神であり一般庶民への体系的な救済の教えは地上に伝えていません。
日本神道の神々は最初から他の宇宙から降臨した進化した魂であり地上に住む未熟な魂の気持ちが分かりにくかったのです。
やがて日本国(大和の国)で庶民が日常生活に悩み苦しむ姿を見て日本の神々はインドの宗教である仏教を取り入れる事を決めました。
偉大な釈尊が体系的に魂を段階的に進化させる道を説き庶民の生きる苦しみを救う教えがある仏教は日本国では足りない信仰でありこれを取り入れる事を決めたのでした。
日本神道の祝詞を研究すると分かりますが絶対的な力があり読めば言魂となり天から天下るような高貴で力のあるものです。
日本神道の神々には迷いのかけらもありません。
逆に仏教はお経を読むと分かりますが釈尊が生きることに苦しみあらゆる苦行を経ても悟れず煩悩の苦しみを突き抜けて悟りの境地を得ておりほとんどが弟子との問答集となっております。
仏教には日本神道が全く目を向けなかった日常生活に悩み苦しむ庶民を救う教えがたくさん散りばめられているのです。

元々神社仏閣は江戸時代まではセットで祀られている事が多かったのですが天皇家の神格化による国民の支配を目的にした明治政府の廃仏毀釈により全国の神社と共に祀られていた寺の大半は壊されたり移転を余儀なくされました。
また江戸時代前期に爆発的に増えたキリスト教信者により発生した「天草四郎の乱」での幕府軍の大苦戦は幕府の支配を揺るがし江戸幕府は身分制度の維持に都合の悪いキリスト教を徹底的に弾圧しました。
(キリスト教の詳細な解説はまた別の記事で書きます)
全国で隠れキリシタン(キリスト教徒)への厳しい摘発の中で監視を強化する隣組や檀家制度が奨励され現在では大半の日本の家は仏教の檀家になっております。
もちろん当時は関西などでは神葬祭も盛んでしたが江戸幕府前期の中枢にいた天海僧正や芝の増上寺が徳川将軍の菩提寺であった為に仏教界の政治力が強くなり約300年の江戸幕府の支配により日本の仏教は政治と結びつき形骸化し次第に葬式仏教になっていきます。
ちなみにお寺の本来の役割は僧侶が修行して学んだ仏の教えを一般の庶民に法施し現世での悩み苦しみから救うために存在しています。
一般の民衆はこの有難い教えを受けて救われお布施によって僧侶にお礼をして徳を積むのが本来の姿です。
また空海禅師が伝え現在でも高野山にて教えが守られている密教については本来修行で身に付けた法力を生かし加持祈祷や呪術により庶民を救済するのが密教の僧の務めです。
残念ながら現代では釈迦が予言した通り仏教の教えが正しく伝わらなくなる末法の世であり本来革新派であったはずの日蓮宗でさえも葬式仏教に転落し形骸化しています。
また末法の世にはニセ釈迦が流行ると言った予言も現実になっております。
特定の団体名は伏せますが釈迦の生まれ変わりを名乗る新宗教の教祖が現世に現れて信じる人々を次々と惑わせお布施と称し大金を貪り巨大な伽藍を建設し色欲に溺れ正妻を追放して愛人と暮らすなどおよそ仏教とは真逆の指導者が勢力を拡大しています。
また旧仏教勢力の一部の僧侶でも悩み苦しむ庶民への救済より高額な戒名を取り本来質素であった仏教葬儀を高額にビジネス化するだけでなく多角化経営で暴利を貪り高級車を乗り回し高級クラブやお茶屋遊びで豪遊し色欲に溺れおよそ僧侶とは思えない人物も高僧と崇められております。
このように現代では形骸化して堕落した仏教指導者や僧侶が増えましたが霊界で大衆救済を目指している菩薩様や如来様の心はまだ折れていません。
彼らの大きな特徴はあらゆる宗教の神々より慈悲深く心が広いのです。

さて本来の主題である「寺での正しい参拝法」は神社とは全く異なります。
手水の作法は一緒ですので前回のブログを参考にして身を清めます。
お寺では手を叩きません。
とにかく一礼し合掌して御仏と一体になり語り掛けましょう。
そのお寺に祀られている菩薩あるいは如来様に自分が抱えている悩みや苦しみを正直にさらけ出しぶつけましょう。
菩薩様や如来様はあなたの苦しみや悩みをすべて聞いて受け止めてくれます。

本来はその寺の僧侶があなたの悩みを聞かねばいけませんが僧侶が不在な寺も多いので菩薩様や如来様にすべて打ち明けます。
また菩薩様や如来様は一つの魂で多数の事を同時に認識出来るような高度な意識を待っています。
例え同じ日に何万人参拝者があってもあなたの悩みを全て把握して聞いています。
そしてその問題が本人に必要なのか緊急に救うべきなのか瞬時に判断し慈悲の心で救うべく手配してくれます。
この世の成功者にお墓参りを熱心にしている習慣の方が多いのはご先祖の力だけでなくこうした菩薩様や如来様が悩みや苦しみを慈悲深く聞いて陰ながら助けているからなのです。

したがって菩提寺以外の寺でも積極的に参拝し心の悩みや苦しみを全て菩薩様や如来様に晒して恥ずかしがらず御仏の助けを請いましょう。
キリスト教でも「信じるものは救われる」と説きましたが仏教でも全く同じです。
あなたの苦しみ悩みは全てお寺で打ち明けましょう。
まもなく目に見えない御仏の力が働いてあなたの身辺に奇跡が起こるでしょう。
お寺での参拝は現代では廃れましたが庶民が奇跡的に救われる手段なのは変わらないのです。

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