甲州パワースポット紀行2 乾徳山 恵林寺参拝

武田神社の次は甲州市にある恵林寺に行きました。山梨県は初めて行くとダイナミックな広さで高速道路みたいな無料の自動車専用道路がありレンタカーを借りてのドライブは最高でした。

乾徳山恵林寺は1330年開創の臨済宗のお寺です。夢想国師が開山しました。霊視してみたら夢想国師の姿はありませんが大きな姿の不動明王様が見えます。ここは布教の為というより多くの僧侶を育成する為の教育機関として開山されたようです。今で言うと地方の国立大学みたいな感じですね。不動明王様は魔を断ち切るのが得意なので人間関係で悪い因縁が切れなかったり長年不治の病に悩まされている方には特に参拝してもらいたいお寺です。この寺には戦国時代に悲しい歴史がありました。

恵林寺は武田家の菩提寺として保護され戦国時代に最盛期を迎えます。1582年武田家滅亡の当時の住職は快川紹喜国師です。武田晴信公(信玄)が美濃の国(岐阜県)から招き崇拝して指導を仰ぎました。「心頭滅却すれば火もまた涼し」の辞世で有名ですが後世の逸話のようです。こちらも当時の状況を霊視すると長篠の戦いで武田軍を破った織田信忠軍が甲斐本国に攻め込み寺の情勢は緊迫していたようです。寺にはかって織田軍に敵対して逃げ込んだ武将や僧侶がおり引き渡しを求められました。また逃げ込んで来る近隣の避難民を保護しながら寺で修業している僧たちの身の安全に心を砕いていた快川国師に辞世を読むような余裕は無かったようです。織田家と対立していたとはいえ 快川国師は美濃の国出身なので同郷の誼で織田家から逃亡している武将と寺の僧侶の身の安全を願い使者を立てて交渉しました。しかし長年武田家の菩提寺である事が仇となり交渉は拒否されて寺は総攻撃されてしまいます。快川国師始め寺にいた人々は無残にも多数殺されました。また寺は焼かれ乱取りという略奪を受けて財産も奪われています。総大将の織田信忠は父の信長同様キリシタンであり仏教をとても敵視していました。織田家は比叡山焼き討ちを始め伊勢長島一揆衆を皆殺しにし摂津の石山本願寺も攻め落とし多数の僧侶を殺しました。日本から仏教の絶滅を目指し邁進しています。その為天下取り一歩前で仏罰を受け家臣の明智光秀が謀反を起こし本能寺の変で織田信長と信忠親子は共に殺され現在も地獄に落ちています。

恵林寺には武田晴信公(信玄)の墓所がありました。後ろには武田家臣の供養塔もあります。霊視すると晴信公はこちらにいません前回のブログで書いたとおり晴信公は武田神社の神となっています。代わりに見えたのは武田家滅亡の時に天目山麓で自害した武田勝頼公、息子の信勝公、他には最後まで付き添い自害した一行です。勝頼公は私がこの寺を訪れるのを待っていたようです。母親方の祖母の家系が諏訪家に繋がっているらしく親しみがあるようです。勝頼公は亡くなるときに家臣の小山田信茂に裏切られ天目山で自害したので成仏していなかったのです。

武田勝頼公は武田晴信公が諏訪頼重を滅ぼし諏訪の地を手にしたときに側室とした諏訪御料人を母親として1546年に産まれました。諏訪御料人は大河ドラマでは美女として登場して有名ですね。霊視すると諏訪御料人は病弱だったようです。容姿は小柄な可愛らしい方で今の女優さんでいうと橋本環奈さんによく似ています。晴信公が好きになり夢中になってしまうのも理解できますね。個人的にはぜひ一度橋本環奈さんに大河ドラマで諏訪御料人の役をやってもらいたいです。勝頼公は肖像画が残っていますが母親似で細面のイケメンだったようです。

突然の事に驚きましたが勝頼公は恨みの念が強く血の繋がった身内の霊能者でないと成仏させられないと言うので境内で祈祷して成仏させました。戦の結果とはいえ長年続いた武田家を滅亡させてしまい信頼していた家臣達に裏切られ無念だったようです。最後まで成仏出来なかった武田勝頼公など16名の魂を成仏させて恵林寺の境内は一気に晴れやかになりました。戦国最強と謳われた武田家を短期間で滅亡させてしまったので後世の評判が悪い武田勝頼公ですがテレパシーで魂と通信した感想はとても革新的な考えで頭の切れる方です。当時家臣達の価値観が古い甲斐信濃ではなく開放的な価値観を持つ近畿や中国地方で大名になっていたら天下を取っていたかも知れませんね。

甲州市はブドウなどの果物がたくさん取れるいい土地です。次は秋に訪れて見たいと思います。皆さんもぜひ恵林寺に参拝して不動明王様のご加護で悪縁を断ち切りましょう。

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