ムーの興亡

以前アトランティス文明の滅亡について書きました。今回はムー文明について書きたいと思います。

なぜアトランティス文明が科学絶対主義に偏ったかというとアトランティス文明より一万年ほど先に滅亡したムー文明が原因です。私はこの時代は前期に宗教家として肉体を持ち多くの民を導きました。ムー文明は今の太平洋の真ん中にあった大陸にあった文明で太陽信仰の文化を持ち宗教や芸術が絶対的な価値観を持つ文明でした。

 

ムーの大陸の大半は海に沈みましたがその末裔や文化は日本列島、インドネシアの島々、ハワイ島、グアム島、イースター島、バリ島などに一部の民が逃れて受け継がれました。
私達日本人はムー民族の子孫でもあり太平洋の島々の民族とは遠い親戚なのです。
今でもこれらの国々にムー文明の信仰や儀式の風習が変化して残っています。

 

ムー文明の特徴は宗教や芸術が全ての上位に立つ感性を重視した価値観でした。
宗教家と芸術家は共に政治家として権力を握り尊敬されていました。
宗教家は神に直接繋がる存在として崇められ芸術家は神の教えを美しく表現する存在として尊敬されました。
ムー文明時代の太陽はもっと地球からは近く大きく見えていて現在よりも日差しが弱く感じて美しく冬などの寒冷期もなく気候は穏やかで暖かく植物はとても繁栄していました。当時は果物もよく取れましたし広い土地を生かした農業も盛んでした。また現代では絶滅した動物も多数ムー大陸には生息していて狩猟して良質なタンパク質を得られたリ魚の生息数も現代よりはるかに多く簡単に漁が可能でした。このようにムー文明の初期には豊富な食料を簡単に得られたのです。
この頃は平和に社会が調和して地上にユートピアが実現したかのように思われました。現在の日本人の深層心理にある楽園のイメージはこの初期ムー文明の平和で豊かな時代の記憶なのです。

 当時はまだ人口も少なく食糧も分かち合いながら人々は太陽信仰の儀式を毎日して過ごしました。
人々は毎日踊りや絵画、彫刻などの芸術に興じました。食料も豊富なので奪い合いの戦争も少なく争いが起きても各地にいた宗教家と霊媒師の仲裁で争いはすぐに収まりました。
ムー文明の初期は原始的な文明でしたが中期には科学が進み人口も増加し農業や工業も次第に発達しました。しかし相変わらず宗教と芸術の方が全ての価値観の上位にあり新しい発明でも太陽信仰の教えに逆らうような技術は厳しく抹殺されました。
まさに中世ヨーロッパのカトリック教会の弾圧に近い状況だったのです。
ムーの異端裁判で有罪になると命を奪われるか奴隷の身分に落とされました。

 

 

この時期にまるでカースト制度や日本の江戸時代のような差別制度が出来上がり生まれた家柄により身分が固定され社会から活力が失われました。
また社会から進歩する気力が失われてムー文明の進化も止まります。
末期には世襲制であった宗教家や芸術家の階級が腐敗して一切の労働を拒否。
他の身分の人々に苦役を強いて自分達は毎日享楽にうつつを抜かして社会に不満が広がります。
特に抑圧され満足な身分を与えられなかった科学者達が密かに優秀な機械や武器を開発して反乱を起こします。

宗教家と芸術家達を守る近衛兵や親衛隊も勇敢に戦いますが最新鋭の兵器に叶わず大きな犠牲を出して敗れていきます。
またアトランティス文明の末期と同じく奴隷階級に落とされて抑圧されていた人々も反乱を起こして楽園だったムー文明は大混乱に陥ります。
この様な殺伐とした戦乱の時代が500年ほど続いて国土は荒れ果てて科学兵器により汚染され我慢していた地球意識はついに大陸ごとムー文明を海に沈めます。

この時に唯一生き残れたのは一部の科学者達のグループでした。
優秀な空を飛ぶ事が出来る舟で脱出してまだ未熟だったアトランティス文明に辿り着きます。
彼らが新しい指導者となりアトランティス文明は進歩しますがその反面ムー文明滅亡の原因を作った宗教家や芸術家の弾圧に走ってしまうのです。
この極端に相反する二つの文明実験は人類に大きな教訓を残し今回の文明ではバランスよく偏りの無い文明の発展を期待されています。
現在の文明に住む我々はどちらかというとアトランティス文明の時代に近づいて来ています。
もっと感性の鋭い人々が評価され地位や名誉を得られる社会にするだけで無く愛情や人情を持つ人々が損しないような社会を目指す事が必要ではないでしょうか?
ムー文明の楽園にアトランティス文明の優れた科学力が調和したら地上はより高次元のユートピアに近づくのです。

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