昨日は群馬県の太田市で仕事でした。
場所が太田市の郊外だったので市街地をクルマで抜けると古い鎧を着た騎馬武者の霊達が10騎現れて出迎えてくれました。
どうやら南北朝時代の新田義貞公とその一族で精鋭の武者達でした。
この武者達の霊に導かれて慣れない土地でしたが無事お客様の家に辿り着きお役目を果たす事が出来ました。
帰り道の途中で偶然に新田義貞公が鎌倉幕府を倒幕する為に挙兵と戦勝祈願をした生品神社の前に来たので参拝しました。
境内は誰も参拝する人も無く静かでしたが男らしい荒くれたパワーが渦巻いていました。早速参拝してこの地で仕事が出来る事に感謝すると義貞公の霊が現れて小太刀の霊刀を授かりました。
この霊刀はどんな悪魔や悪霊でも倒せる小太刀でこれからの仕事には不可欠らしいです。
この生品神社は平安時代からある地元の氏神様ですが新田義貞公ゆかりのパワーに満ちており出世運が上がりますので特に男性にお勧めです。
以前栃木市の神明宮で魔除けの扇を氏神様から授かりましたがまた霊的なアイテムが増えました。
感謝してまたこの地でお役に立てる事を祈り帰途につきました。
新田義貞公は天皇家の血を引く源氏の一族で上野国の有力な御家人でした。南朝側の後醍醐天皇の忠臣として楠正成公や名和長年公などの忠臣の武士達と共に鎌倉幕府を打倒すべく戦いました。当時の鎌倉幕府の状況は14代将軍北条貞時が亡くなった後は幼少の15代将軍北条高時の後見人である北条一族の長崎円喜公が執権などの鎌倉幕府の要職を独占し政治の実権を北条本家である得宗家から奪いました。長崎円喜公は自分の一族の栄達のみ願っていたので能力の無いものが要職に就き政治は失策続きで腐敗し賄賂が横行しました。このような幕府の失政により財政は極度に悪化して各地の御家人には過酷な重税を課した為に厳しい取り立てで農民の逃亡や餓死が多発し社会は大混乱します。また長崎一族の政治に反発し対立するライバルの武家を次々と謀反の罪で成敗しました。
このような悪政を正し天皇中心の政権を樹立すべく後醍醐天皇は近畿地方で何度も挙兵し戦いました。義貞公は後醍醐天皇に共感し呼応して関東で挙兵します。同じ源氏一族の下野国の御家人である足利氏の協力も得て関東の御家人も多数味方する事になり激戦の末に首都鎌倉を攻略して鎌倉幕府を打倒し将軍北条高時以下北条一族を滅ぼしました。その後は都で後醍醐天皇の新政権が発足し義貞公は都の守りに就きます。(建武の新政)その後義貞公は後醍醐天皇と対立して北朝側として参戦した足利尊氏公やその一族、家臣と何度も戦いましたが最後には敗れてしまい越前に落ち延びていましたが少数の兵で移動中に偶然北朝側の大軍と遭遇してしまい武運つたなく討ち取られてしまいました。(藤島の戦い)義貞公は生前から正義感が強く人格も素晴らしい人物であった為に亡くなった後は霊界で戦神となり悪魔や妖怪、悪霊と戦い地上の人々が安全に魂修行が出来るように現在でも働いておられます。目に見えない世界で皆さんを守っている戦神様はありがたい存在なのです。