先日の東京出張の際に平将門様の霊に呼ばれたので大手町にある首塚に行ってきました。
平将門様は平安時代中期の武将です。
元々天皇家の血筋であり桓武天皇から数えて5世です。
都の出世が望めず関東にくだった高望王の三男である平良将公の子であります。
若い頃は都で当時の権力者であった藤原忠平公に仕えましたが都での宮仕えは武勇に優れ気性の真っ直ぐな将門様に合わず出世や官位を得ぬまま関東に戻ります。
以下は将門様の霊から聞いた当時の反乱の真相です。
関東に戻った将門様は利権争いから親類の平氏一族と抗争になり巻き込まれてしまいます。
将門様も当初は都の貴族達に自らの正当性を訴え大義名分を大切にして戦っていましたが卑劣な敵は美女や貢ぎ物を送って貴族達を懐柔し将門様を帝に弓を引く反乱者に仕立て上げてしまいます。
また当時の関東に赴任していた国司達は権力を傘に乱暴狼藉を働き略奪や重税を課すなど庶民を苦しめていました。
将門様は家柄からして国司を武力で守る立場でありましたが数々の一族との戦いに勝利して武勇が高まり庶民の人気や期待も高まっていた為に将門様の一族に乱暴狼藉を働く国司を成敗して欲しいという訴えが届きます。
将門様は関東の庶民が生活も成り立たないほど苦しんでいるのに都の貴族達は贅沢三昧で強欲な生活をしており両方の立場をよく知っていて矛盾を感じていた為についに決起して関東各地の国府を襲撃し反乱を起こします。
そして関東一円を制圧すると新皇を自称して関東に独立した王国を築き庶民の為の理想国家建設を始めたのです。
同時期に藤原純友が西日本で反乱を起こしたので互いに示し合わせたという説がありますが将門様に確認したら全く関係ないようです。
(参照:承平・天慶の乱)
その後は常陸国(茨城県)の石井に本拠地を築き少数精鋭の兵で押し寄せる征伐軍の大軍相手によく戦いますが武運つたなく討ち取られて将門様の一族は滅亡してしまいます。
死後は将門様と側近の部下の24将は庶民の為に戦った事を日本の神々に認められて軍神になりました。
(奇しくも武田24将と同じ数)
現在は悪魔や怨霊、妖怪と戦う霊界の警察官的な役割なのです。
ところで首塚をお参りする前日に東京に到着して仕事してから右足に激痛が発生していました。
ケガをした覚えはなくこれは将門様の死因を訴えた現象のようです。
将門様の最後は歴史書では額に流れ矢が当たり亡くなったとなっていますが実際には右足に矢が突き刺さり動けなくなったところを討たれて首を取られたようです。
将門塚については時宗の僧侶である他阿(たあ)真教により1307年に強力な結界が張られていました。
ちなみに将門様は南無阿弥陀仏の石像が邪魔だとおっしゃっています。
数々の将門塚の呪いの真相は将門様が原因でなくここに南無阿弥陀仏の呪札を立てた他阿真教が張った強力な結界が原因のようです。
当時は将門様以外の怨霊がこの地に集まって住民を悩ませていたらしく強力な除霊と結界を張ったのが呪いの真相です。
現在ではこの地は浄化され祟りが起きるばかりで必要ないので結界は私が外しました。
すると一羽の鳩が飛んできました。
神様の使いのようです。
不要な結界を外したので大手町を守る氏神様のお礼の使者のようです。
清々しい気分になりながら将門様に別れを告げて首塚を後にしました。
これから仕事で悪魔や怨霊、妖怪とまたいつかは対決しなければならないので将門様には指導霊として協力をお願いしたのでした。