甲州パワースポット紀行1 武田神社参拝

先日母方のご先祖様の故郷である山梨を訪れました。母方のご先祖は三枝氏と申しまして元々貴族の出身で平安時代に京の都から使わされ甲斐の国に住んでいたようです。戦国時代の三枝一族は武田家と武田家滅亡後は徳川家に使えて活躍しました。

そのご縁もあり武田氏が本拠地にしていた躑躅が崎館跡にある武田神社にまず参拝しました。周囲には堀が巡らされておりいかにも城跡の風景です。

こちらの武田神社は大正8年に有志の方たちの努力で建てられました。早速参拝して霊視してみると凄いオーラが光っている武田信玄公が正装してこちらを見ています。

いきなり「遅い!」と叱られました。どうやら私が訪れるのを待っていてくれたようです。私も思わずご先祖みたいに「お館様すみません!」と心の中で謝りました。幼き頃に山梨出身の祖父や祖母から山梨の事や武田家の話は聞いていたのですがなかなかご縁が無く50年近く経ってやっとこちらを訪れたのです。

信玄公からいろいろ話を聞きました。

(信玄公は晴信と呼びなさいというので以下晴信様と呼びます。)

晴信様が生きた時代は戦国時代なので現代から見れば残酷な行いをしなければ生きていけませんでした。若い頃には粗暴で家臣や領民から嫌われていた実父の信虎公を今川家に追放しました。また政策の対立から反乱を起こした息子の義信様や腹心の飯富虎昌を死に追い込んだり佐久平での戦いでは相手の兵士を皆殺しにしたり残酷な事もかなりしなくてはいけなかったと言っていました。しかし幼き頃に不動明王様の化身として甲斐の民の為に働く事を誓った晴信様は心を鬼にして反対勢力と戦ったようです。

当時の武田家は家臣や国衆には気の荒い者が多く命令に納得いかなければすぐに反乱を起こすような不安定な情勢でした。甘い姿勢では甲斐、信濃を統治出来なかったと言っていました。武田晴信様はストイックな勉強家で孫子などの兵法だけでなく占いや仏教の教えもかなり学んでおり当時としてはインテリジェンスの高い武将だったようです。戦でたくさん人を殺し業も背負った晴信様でしたが甲斐と信濃の国における治水や金山開発、名産品の開発、商業の発展など政治に手腕を発揮して後世の人々まで幸せにした功績で甲斐、信濃地方(現在の山梨県、長野県)の守り神となって現在は人々の願いを叶えています。こちらの神社の御利益は特に仕事運や出世運です。また経営者や教師の方は指導力が向上します。

こちらの境内の中には武田統治時代から使われている「姫の井戸」があります。晴信様の娘が産まれたときに産湯に使われた事からこの名がついています。息子の勝頼様もこちらの井戸の水で茶の湯を楽しんでいたようです。この井戸を霊視すると大きな白蛇様がいて井戸を守っています。かっては武田家の財運をこの白蛇様が支えていたようです。私もこちらの井戸の水を汲み飲んでみましたがかなり金運が上がります。参拝後すぐに鑑定の依頼が殺到しました。皆様も参拝の際はこちらの井戸の水を授かる事をお勧めします。

晴信様に感謝して武田神社の参拝を終えるとこの日はとても暑いので神社前にある売店で休憩しました。こちらではきな粉と黒蜜が掛かった「信玄アイス」をいただきました。とても美味しかったです。

次は晴信様の菩提寺に参拝します。

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